【山小屋2018】山小屋生活って何だろう?

山小屋の生活を一言でいうと何になるのだろう。
去年は軟禁生活か奴隷生活と言っても過言ではなかったけれど、それはあまりに特殊すぎる。
うーん…
いろいろ考えてみて、「閉鎖的な空間での共同生活」という結論にたどり着いた。
山小屋は下界の住み込みのバイトとは違うと思う。
文化的なもの、娯楽、情報その他諸々のものが限られている。
山域にもよるけれど自由気ままにどこか行きたいところへ行くわけにもいかない。
もしも何日も嵐が続けば、ヘリが飛ばないので食料の確保が難しい。
水場のない小屋なら、日照りが続けば天水(雨水)がためられず、水さえ手に入らない。
そんな環境の中でも生活しなくてはならないし、客人を迎えなくてはならない。
そう考えると、なかなかに厳しいなと思う。

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【山小屋2018】見送る背中

小屋じめも近づき、スタッフがひとりまた一人と下界に降りていく。
期間は人によってまちまちでも、数カ月一緒に働いてきた同僚がいなくなるのは寂しい。

すごくさみしい。

今朝もまた一人仲の良かった女の子が小屋を発っていったけれど、足にしがみついてでも止めたかったし、リュックの中に私も入りたいと心の底から思った。

姿が見えなくなるまでずっと背中を見つめていた。

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【山小屋2018】つかの間の晴れ

秋雨前線の影響で雨が降り続き、台風が来て一過の晴れが来るかと思いきや雨で、ずっと視程100メートルに満たない白いガスの中にいたのだが、ある日ふと晴れになった。
同僚が、これはチャンスとばかりに近所の岩場へ行くがどうかと誘ってくれたので、ロープなんかを携えて行くことにした。
久しぶりの晴れ、太陽の光がとても心地よく、吹く風は柔らかい。
稜線を歩く足はどんどんペースをあげて、心臓と肺が追いつかないくらいだった。

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【山小屋2018】こここれは、失恋ですか?

やれやれ。
フラれてもいないのに、失恋したような気持ちになってしまった。
青春学園ドラマにありがちな、憧れの先輩と、仲良しの大好きな女の子が付き合っていることを知ってショックを受けるような感じ。
彼女から話を聞いたとき、あまりにもびっくりして、心臓が痛くて、しばらくどうしていいか分からなかったくらい。
その子はとても誠実で素直で、純粋な気持ちで私に教えてくれた。
でも、彼も彼女も私の気持ちは知らないので、ひとりで微妙な関係を抱えてしまった。 続きを読む

【山小屋2018】友達ってありがたいね!

小屋に友人が遊びに来てくれるのは本当に嬉しい。はるばる下界からこんなヘンピなところまで、何時間もかけてきてくれるのだから。
少し前、夏も冬も山をフィールドに遊ぶ大切な友達が遊びに来てくれた。
ほとんど1年ぶりに会ったので話題が尽きることなく、最近どこへ出かけたとか、仲間たちの近況とか、他愛もないことを話したり、一緒にご飯を食べたり、近所の岩場で遊んだりしてあっという間に時間は過ぎた。 続きを読む

【山小屋2018】オーナーさま、あなたって人は…

オーナーはどうやら、私を女の子にしたいらしい。
まったくひどいとは思わない。むしろ毎度面白くて笑ってしまう。 岩場で遊んで帰ってきたとき「あんたぁ磨けば光る玉なのに、やってることは男の子と一緒じゃなぁい」とか、
女子トイレの調子が悪くてオーナーが女性スタッフを探していたときに「行きましょうか?」と言ったら 「いいよあんたぁ、女なのは見かけだけでしょう?」とか、
洗濯物を取り込み忘れて一晩放置した翌朝 「もぅあんたぁ、昨日丁寧にメールまでしたのにぃ、幽霊が踊ってたよ、理想の女の子のやることじゃないよぉ」とか、
筋トレするのにダンベル借してもらったら「あんたこんなもの使う子になるなんて、お父さん悲しんでるんじゃないの?」とか、 やんわりとグサグサ突っついてくる。

ちなみに小屋入りする前、オーナーは他のスタッフに「ユミちゃん来るんでしょ?」と言っていたらしい。
ユミちゃんってだれ!?
そのあとは全然似ていないのに小屋の周りで遊んでいたら十六茶のCMっぽいからというナゾな理由で「ガッキー」になり、時間が経つにつれちょっと違うと気づいたのか「ガッチャン」になり、そのうち「あなた」になり、現在は「あんた」に昇格した。
倉庫で鉢合わせたときなんか、「人の気配がすると思ったらやっぱりあんたかぁ〜」とか言われる。
私の名前の要素は全くゼロだけれど、誰にでもあんたあんたいう訳ではないので、いいことなんだと勝手に思っている。

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【山小屋2018】今年の小屋生活

去年の小屋が地獄だとするなら、今年の小屋は極楽浄土だ。
上山したのは6月。それからから今まで、仕事が忙しいからではなく毎日が楽しすぎて、ケータイやパソコンに向かうのが惜しいほどだった。
よほどの混雑でない限りは遊んだり勉強や昼寝をしたりする時間があるし、オーナーもスタッフもみんな普通の良い人だ。
去年は嫁姑問題や人間関係など、普通の小屋番の仕事が山積みのところにそれ以外のものが降りかかり、精神的にものすごく大変だった。
正直なところ、大変を通り越して意味が分からないこともたくさんあった。
だから今年は、こんな山小屋生活が許されるのかと思うほどに気楽で、去年を思えば拍子抜けしてしまう。
昨年は山小屋生活の初年度だったが、それが地獄で良かったと思う。
地獄の業火に存分に焼かれたからこそ、毎日自由な時間があり、笑顔の絶えないことがどれほど尊いことなのか、身に染みて分かる。

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Darling!

出会ったのは7年前の6月だった。
まだ免許をとったばかりだったので、マニュアル車を運転できるのか不安を抱えながら、どこまでも行けるような気がしてとても嬉しかったのを今でも覚えている。

それからはときに友達と、ときに一人で、突発的なドライブによく出かけた。
大学時代は深夜の草津や赤城山麓をはじめ、どこまでも18号線を行く旅とか、あえて迷子になる旅とか、色々な人と色々なことをやった。
卒業後は突拍子もなくどこかへ行くことは減ったが、私の自由気ままにどこまでも付き合ってもらった。

7年の間には色々なことがあった。
たくさんの人や物と出会って、別れて、再会したりしなかったり、いくつもの景色が目の前を通り過ぎ、何かしら影響を受けて、少しずつ今の私ができてきた。
その過程を、ずっと近くで見守ってくれた。
笑って泣いて、怒って悲しんで、歌ったり愚痴ったり。普段人には見せない深い内側の部分まで包み込んでくれるような気がして、心が落ち着いた。
自分の部屋や実家以上に居心地が良かった。

雪道から山道まで特に気も遣わずにガンガン入って、ときに燃料タンクをへこませたり、シャフトを微妙に曲げたり。申し訳ないことをたくさんして何度謝ったことか。
7万キロ前に出会って今が15万キロ代後半だから、その距離は地球2周分以上。
それだけ走れば色々あるよね、と寛大に許してくれることを願う…

最後は足回りの調子がいよいよ悪くなったので、納車まで約1週間代車に乗ることにした。
荷物を積みかえていよいよ本当に最後のお別れとなったとき、涙をこらえるのに必死だった。
自分の荷物が何もない車内は、いつかの引っ越しを思い出させた。
自動車店を出て代車を運転していたら、涙が溢れてきた。
「ありがとう」とともに、今までのあらゆる出来事がフラッシュバックして走馬燈のように流れていく。
ひと段落したとき、心は乾燥したスポンジみたいにスカスカだった。
たかが車一台で大げさかもしれないけれど、自分を構成していた大きな要素が欠けてしまった感じ。
いつの日か大好きだった人と別れた時に少し似ている。
今までいかに頼りにしてきたのかを思い知る。
「今の車に一生乗れるわけじゃないから」と、人は言う。それは事実で、来るべき時が来た。

そして納車の日。走ってみればとても軽快で、「子気味良い」とはこういうことなのだろう。
新車同様の車を自分の色に染められるので、とても楽しみだ。
足回りはどうしよう、タイヤは?ホイールは?ルーフラックを載せたいし、オーバーフェンダーもつけたい。貼りたいステッカーもある。
あそこをああしてこうしてコショコショ・・・妄想が膨らんでいく。
色々と手をいれたら、世界で一番可愛いくておしゃれな相棒になってくれそうだ。
だけどふとした拍子に、赤いハッチバックが思い出をのせて私の頭の中を走り抜けていくだろう。
そのときは懐かしい場所に行くもよし、お世話になった人に連絡するもよし、新しい車を手入れするもよし。
今と今に至るまでの流れや、人とのつながりを大切にできているかを自分に問いたい。

ファミリアはこれからもずっと、私にとって特別な車でありつづけるのだろう。

今まで本当に、どうもありがとう。

人生で1番最高だった冬の終わり

アバランチコントローラーとして迎えたはじめての冬が終わった。

12月下旬から3月末までのおよそ100日間、それは夢のようで、飛ぶように過ぎていった。

この冬は、学びの冬だった。

覚えなくてはいけないこと、学ばなくてはいけないことが山ほどたくさんあった。

スキーカットで雪崩を切ったり雪庇をおとす方法や、雪崩れやすい地形やコンディションに対する理解が必要だった。

スキーの技術に関してもそうだ。

来る日も来る日もスキーを履いて、出勤の日も休みの日も必死に滑った。スキーが上手くなければ仕事にならない。まさか人生でこんなにもスキーをすることになる日が来るなんて、思ってもみなかった。

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25歳を振り返る■フリーターとしての門出■

気づいたら、26歳になっていた。

まるまる四半世紀も生きたのに、まだ何も成していない。

けれども、25歳は正社員をやめて自分のやりたいことに向かった転換の年だったと思う。

お金があまりたまらなかった理由と、何をやったのかを残しておきたい。

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