何を食べるのか?食べ物の選択に悩む日々

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人間は食べないと生命を維持できない。だから食事はものすごく大切だ。だけど、何をどのくらい食べるのか?栄養素は?添加物は?産地は?どのようにして作られた食べ物なのか?そんなことを考慮し始めると、食べるということはものすごく難しいデイリーワークになる。

山に登っていて、気づけば自然の一部になりたいと思っていた。でも人間は、地球の上に生きるもののうちでおそらく唯一、自然の循環から飛び出しているイレギュラーな存在だと思う。代わりに、大多数の人々は経済のシステムの中で生きている。

以前友人といかにして自然の循環の中に入っていくか、という話をしたとき「まずは「野ぐそ」するところから始めよう」という結論に至ったけれど、まだそれもできていない。

そんなことはさて置き、ともかく食べるということは命に直結することであるにも関わらず、経済システムの中に組み込まれている。するとどういうことが起こるのか。「安く作って高く売る」ための営みが始まる。いかに生産性を高めるか、生産コストを抑えるか。それはつまり、どんな種、農薬、肥料、飼料、原材料、素材を使って、最終的にいくらで売って、利益がどのくらい出るのか、という勘定だ。食の安全性に対する優先度は低くなってしまうこともある。

生産者が消費者の健康を考えてどのような原材料を使うのかを選択してくれれば一番いいのだが、どうもそれは難しいようだ。それは主に「添加物を入れないと日持ちがしない」「安い原材料を使って生産コストを抑えたい」「見た目が悪いと購入してもらえない」という3点が理由になっているように思う。

私はなるべく自分の体を自然に近い状態にしておきたい。つまり、人工的に作られた添加物や農薬など、本来生物が口にしないようなものはなるべく体に取り入れたくない。でも、そういう目線でスーパーに並ぶ食品を見ると、困ったことに食べるものがなくなってしまう。

農産物は、しっかり洗えば農薬は落とせると信じて食べる。どんな土壌で育ったのか?など考え出すと自分で生産するしかなくなってしまうので、今の生活を続けるならばそこは気にしてはいけない。

畜産物も、たくさん体を動かしたあとは動物性のタンパク質をとりたいので食べる。どんな飼料を食べて育ったのか?と考え出すと、自分で飼育するしかなくなってしまうので、食べる以上は気にしないことにしている。

加工品はとても厄介だ。自分の家の台所にはない物がたくさん入りすぎている。例えば人工甘味料やイーストフードなどはよほどのことがない限り口にしないし、アミノ酸等や酸味料などは一括表示で中身が全く分からないブラックボックスなので食べたくない。マーガリンもトランス脂肪酸を多く含むので食べない。

コンビニやスーパーで売られている菓子パンは顕著で、原材料の表示は何行にもおよび、そのほとんどが本来パンを焼く際には使用しないものばかり。漬物類や清涼飲料水、その他たくさんの加工食品も、表示を見ると得体の知れないものが入っている。やはり食べるのはためらわれる。食べ物というわりに、食べ物らしからぬものが入っているのだから。

添加物は生産上必要だから添加されていて、食べてすぐに人体に大きな害を及ぼすわけではないことになっている。本当に害を及ぼすのか分からないものもある。食品添加物に関する情報はネットにあふれていて、もはやどの情報にどのくらいの信憑性があるのかさえ分からないこともある。なかなか掴みどころのないものだとつくづく感じている。

これまで日常的に食品添加物について調べ、口にしないものの判断基準を定めてきた。自分で作るときに使う材料以外に、何が入っているのか。そして、自分の体を自然に近い状態に保つのを邪魔しないかどうか。それが食べ物を選ぶベースになっている。

だけど、それでも、どうしても食べたくて仕方がない!!というときも時にはある。そんなときは、仕方がないので妥協して目をつぶって美味しく頂くことにしている。もしかしたら、添加物を食べるよりも、食べたいものを我慢する方が毒かもしれないのだから。

    
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