板納め、小雪の冬に寄せて

Feel/Think

梅雨を迎え、下界はもうとっくに夏モードになっているけれど、山の上ではようやく板納め、スキー板を仕舞う時期がやってきたので、今季思ったことを書き留めておきたいと思う。

ちなみにこれを書いたのは3月の終わり頃。

それから少しずつ加筆をしながらずっと温めてしまったけれど、雪の好きな人は少しお付き合いいただけるととても嬉しい。

北海道に生まれた私は、降ってくる雪をただずっと見つめ続けている子供だった。
冬の始まりは、アスファルトに落ちては消えてゆく雪を窓越しにずっと見ていた。

根雪になると、雪の上に寝転がって自分の上に降り積もっていく雪をずっと見ていた。
じわじわと体温を奪われていくのが心地よくて、体が冷え切るまで寝転がっていた。

幾年か経て、北海道を離れるときがやってきた。
出先の土地の冬は、風ばかりが強い、雪のない冬だった。
冬が来ない。
木々が葉を完全に落としてからも、秋が延々と続いているような感覚だった。
そこで初めて分かった。
冬が好きだったんじゃなくて、雪が好きだったんだと。

雪は特別な存在だ。
子供の頃とまったく同じ気持ちで、理由もなくただずっと見つめ続けていられるから。
雪に関係した仕事をするようになった今も、気持ちはまったく変わらない。
色や形、質感、感触、匂い、音、五感を通して感じる雪の全てが、私の一部になっている。

今シーズンはすごく雪が少なかった。
ゲレンデもいつオープンするのか分からない状況が続き、大雪の予報はことごとく空振りだった。
このまま雪が降らなかったらどうしようと心配したし、何年、何十年か先の雪がなくなった世界を想像したらとても悲しくなった。


5秒でもいいから想像してほしい。
雪のない世界を。
雪の降らないところの人には難しいかもしれない。
じゃあ子供の頃の、めったに降らない雪が降ってきたときのワクワクを思い出してほしい。
いつかのホワイトクリスマスを。
ゲレンデに出かけた日を。
白く美しい雪景色を。

雪が降らないというのは、つまり、そういうことだ。

雪はその季節になれば勝手に降って積るんじゃなくて、守らなくちゃいけないんだ。
雪が、もっともっと特別な存在になった。

サーファーの人たちは、美しいビーチを守るために浜辺のゴミ拾いをするらしい。
ただ波を待つだけではなく、波に乗り続けるために、自分たちにできることをやる。とても素敵だと思った。
スキーヤーの私は雪を待ちながら何をすればいいのだろう。
残念ながら、美しいビーチとゴミ拾いのような直接的なものが見つからない。

雪と直接関係があるといえば、温暖化だろうか?
確かに温暖化は存在している。
でもその原因が本当に温室効果ガスなのか、人為的なものなのか、長い長い自然の周期でそうなっているのか・・・
色々な人が色々なことを言っていて、少なからず利害もからんでいるので、正直わからない。
何が原因なのか分からない以上は手の打ちようがないし、分かっていたとしても私一人がじたばたしたところでどうにもならない。
何人が束になってもだめで、 地域とか、国とか、世界とか、そういうレベルの話になるのかもしれない。

じゃあ何もしないのかと言うとそういうわけにもいかず、結局たどりついたのは「自然に負荷をかけないように生活する」ということだった。
これは私が会社をやめた理由でもある。
メーカー勤務だったけれど、繰り返されるモデルチェンジ、それにともなう仕様の変更、新しく金型を起こしたり、設備を入れたり、廃盤になる機種のラインを処分したり・・・
一体これに何の意味があるんだろう。
自分が関わっていることが根本的にすごく無駄に思えて、やめてしまったのだった。

理想とする暮らしや生き方はとてもシンプルだけど、会社を辞めて3年半、まだそこにたどり着けていない。
いつかちゃんとした拠点をもって、食べ物とエネルギーをなるべく自給する生活を送りたいけれど、それはずっと先の話になりそうだ。
もどかしい。

もっと「ちゃんと」生きたい。

お世話になっている先輩にこの話をした。
こんなこと考えたんですよ。
そしたら「そういう意識を持つ人が増えることが重要なんじゃない?」と言われた。
「君は山小屋っていうある種究極的なところで生活してるんだから、それはそれでいいと思うよ、誰にでもできることじゃない」
そうかなぁ。
「俺は出会って話をした人ひとりひとりが少しでも自分のいる環境を自分で守るっていう意識を持ってもらえればいいと思ってる」
先輩の言う「自分のいる環境」というのは、住んでいる場所だけではなく、スキーヤー、登山者、クライマー、サーファー、自転車乗り、釣り人などなど、みんなのそれぞれの遊びのフィールドのことも指していると思う。
自分たちの代だけ楽しく遊べればいいというのはあまりにも身勝手だ。
このまま何年先、何世代先まで、自然の中で遊び続けるにはどうしたらいいのか。
これは「持続可能」という考え方につながる。
開発やエネルギー、発展などの社会的なワードに使われることが多いけれど、私たちはもっと「遊び」が「持続可能」であるためにはどうすればいいのかを考えないといけない。

「持続可能な遊び」という概念。

私にとって遊びは人生と同義だから、それが持続可能であることはものすごく重要だ。
よりよく遊ぶために、ああだったらいいな、こうだったらいいな・・・誰しもが少なからず理想像を描けるはず。
じゃあそのために、できることはないのか?

私は私にできることをやる。
自然の中で仕事をするし、買い物に気を使うし、こうやって文章を書いている。
直接的じゃなくても、どこかに必ず雪を守ることとの接点があるから。
日々の暮らしの中には変えるのが難しいこともあるけれど、すぐに変えられることもたくさんある。
あとは出会った人とどんな付き合い方をして、どんな話をしていくか、視点を共有できるか。
私の姿を通して何か大切なことを感じとってもらえるようになれたら一人前だと思う。

雪が大好きだ。
好きならば、愛しているなら、守る努力をするべきだ。
この先もずっと雪と戯れたいし、先の世代にも雪で遊べる世界を残したい。
真摯でいられるか、広い視野を持てるか、どうやって行動していくか。
雪を守るための生き方を問われた季節が移り変わってゆく…