8月上旬、携帯電話の充電ができなくなった。
何をやってもスマホが息を吹き返すことはなく、そのまま死んでしまった。
下界ならすぐに新しい端末を買ってシムを入れ替えてアプリをダウンロードして諸々のデータを引き継いで、ということができるけれど、山小屋だとそうもいかない。
久々に完全オフラインになった。
オフラインどころか、電話も使えなかったので、山にいる限り小屋のスタッフ以外の人と連絡できなくなってしまった。
最初は全然何とも思わなかった。
携帯電話はあんまり好きじゃないからむしろ開放された気分だった。
小屋には漫画や雑誌などの本がたくさんあるので、選り好みしなければ暇つぶしに事欠かない。
おまけに、小屋にある漫画は概ねストライクゾーンなので全く問題ない。
でも、時間が経つにつれて大切な連絡が来ていたらどうしようと気になりはじめた。
返信が必要な連絡を無視するのは相手に失礼だ。
そして、スマホがないとちょっと調べたいときや連絡を取りたいとき急ぎに間に合わない。
本当に間に合わない。
というか、ここは山の上でネット環境がないから、間に合わないどころかスタートラインにさえ立っていないということに気づいた。
生活にスマホがあるのは、無色透明な水に絵の具を溶いて綺麗な色がついたような感じなのかな。
今回一番困ったのが、両親と連絡がとれなかったことだ。
普段ならちょっとくらい連絡が取れなくたってどうということはないけれど、北海道からはるばる北アルプスに遊びに来てくれることになっていたので、連絡が必須だった。
母の携帯番号は覚えているので、同僚にお願いしてSMSを送らせてもらった。
でもどうしても電話で話したいことがたくさんあったので、休暇で下界に下りたとき公衆電話を求めて松本駅にゆき、長電話した。
久々の公衆電話は趣きがあって、「いとおかし」って感じ。
大きくて重たい受話器は、連絡が取れることの尊さを物語っているようだった。
20年くらい前はこれが普通だったんだよね。
約一か月のオフライン生活は、不便なこともあったし大切な連絡が来ていないかソワソワしたけれど、良かったといえば良かった。
個人的には誰にも知られずにひっそり山小屋にいるのが好きだったりする。
でも、連絡がなかったりツイッターに現れないと心配してくれる人がいて、それはとてもありがたいなと思った。
オンライン生活の便利さに慣れてしまったら完全にオフラインなのはやっぱり不便だ。
色水を無色透明に戻すのが難しいのと同じなんだなぁ。